たまには、息抜きを!第一回、回顧録

みなさん、こんにちは!

新型コロナウイルス

まだまだ気を付けましょうね
IMG_8290.jpg
さて今日は休日出勤しておいしいコーヒーを

飲みながらこのblogを書いてます

実はこのコーヒーは特殊な焙煎方法の豆で

淹れたコーヒーなんです

どんなコーヒー?

とっても美味しく健康的!

どこで購入できるの?

私の患者様が焙煎士です

詳しく聞きたい方はご連絡くださいね

コーヒーの事だけでもいいですよ(笑)

さてさて、何を書こうかと思ってたら

昨日も聞かれた

『なぜ、この仕事を選んだの?』

という質問をよく患者様から頂くので

書いてみたいと思います

他の治療家さんのホームページを

拝見すると私がこの仕事を選んだわけ!

というコーナーがあり、ほとんどが

ご自身の怪我をきっかけにとか

家族の病気が…などとなってますが

私の場合は少し違います(笑)

その辺を正直に書いてみたいと思いますので

お時間のある方は少しお付き合いを

お願いいたします!

まずは、生い立ちなどを時系列で書きますね

埼玉県の児玉郡という何にもないド田舎で
育ちます
小学校まではスーパー悪ガキ
(親がご近所様に何回も謝罪に)

中学校、高校とサッカー部に入部して毎日
地獄のようなトレーニングに耐え、高校では
群馬県ベスト4に!
そのおかげか体は小柄ですが人一倍頑丈に
なったのではと思っています
しかし授業中はほとんど寝ていたような(笑)

大学に進学後、仲良くなった東京生まれ東京
育ちの友人がサーフィンというスポーツを
していたのに衝撃を受けサーファーに
なることを決意!
後に、その友達は『オカサーファー』だった
ことが判明(笑)
しかし、そんなことはお構いなしで一人で
海に通うのでした

大学生活はサーフィンとバイトがほぼ中心と
なってしまい勉強は…ですがサーフィンと
バイトは本当に真面目でした(笑)

さて、なんとか大学4年になり、いよいよ
就職活動!
実家は玩具卸問屋を営んでおり超就職難でも
あったので父に『俺を雇ってくれないか?』
と懇願したところ『自分で何とかしろ!』と
一発不採用(笑)
今思うと親心?…そう信じてます

しょうがないので慌てて就職活動を開始して
有名どころから小さな会社まで色々な業界の
就職試験を受けてみましたが、内定を
もらったのが建設重機のリース会社と
建築資材の商社で、なぜか2社とも
建設業界(笑)
選んだのは、建材の商社でした

余談ですが、建設重機のリース会社の
五次試験(社長面接)の内容は社長の前で
何でもいいから5分間スピーチしろという
課題でした!
私がその時とっさに決めたお題はなぜか
『マラドーナと麻薬』でした…
今考えると、なぜそのお題にしたのか
笑えますが内容に興味がある方は
教えますね(笑)

さてさて、社会人のスタートです!
しかし、営業職で採用されたはずが3ヶ月の
研修を終えた後の辞令は、なぜかグループ
会社の建設会社工事課への出向でした
何か、研修でやらかしたのか?
いえ、やらかしていないはず!
結構大きな会社だったので小心者の私は
人事部の方にその理由を聞けませんでした
なので未だに理由は謎なんです…

スーツを着て営業するはずが、ヘルメット
作業着、安全靴、安全帯をつけて
高層マンションや、商業ビルの建築現場に
常駐するお仕事になりました
毎朝、職人さんたちと朝礼でラジオ体操を
元気にしていたのです(笑)

建築現場では主にタイル工事の施工管理を
担当していましたが、自分でもいうのも
なんですが、職人さんからとても
かわいがってもらっていたと思います(笑)

忘れられない思い出としては、現場のミスで
工期がずれ込んで危機的な状況の時
困り果てていたた私のために
『お前の為なら仕方ねえな~』と大勢の
職人さんたちが徹夜で終わらしてくれたこと
です…思い出すと今でも涙が😢
お礼に夜中にこっそりビールを
差し入れしたとかしないとか…(笑)


そんなこんなで三年半たった頃から自営業の
父の影響か、自分でも何か起業がしたいと
強く思うようになってきたのでした
思い立ったら止まらない性格なので
気が付いたら上司に相談し、その日に
本屋さんへ行き『辞表の書き方』という
本を買い、人生で初めて辞表を
書いたのでした

上司からは『何で?これから何するの?』と
毎日聞かれましたが、その当時は
『家業を継ぎます!』と苦しい言い訳で
何とか納得して頂いていたのでした。
佐々木課長すみませんでした(笑)

それから、職場関係、職人さん関係
取引先等々…送別会の日々
大柄な職人さんに
『なんで、辞めちゃうんだよ~😢』と
無理やりキスをされました(もちろん、
頬っぺた!)こんなに惜しまれてたっけ?と
思いました(笑)

それらの強烈な送別会が終わって晴れて
無職になったのです

26歳の再スタートの始まりです!
とにかく何をやるかを決めていないので
それを探すためにというと聞こえが
良いですが、日本中にサーフィンの旅に
出かけます
北は青森、南は四国までだったと思います
ただ単にサーフィンしてただけのような
気がしますが…

案の定、何の答えも出ないまま3ヶ月放浪の
旅を終え、先輩のアパートでの居候生活が
始まるのでした…
そんな毎日を過ごしていたある日、テーブル
の上にある雑誌が置かれていたのです!
まさに私の人生を再スタートさせてくれた
その雑誌のタイトルには『仕事の教室』
と書かれていたのです

その雑誌をペラペラとめくっていくうちに
真ん中位だったと思いますが
『独立開業可能!君もカイロプラクターに
なろう!』と書かれていたのです
手に職?独立?開業?
カイロプラクティック?人の役に立つ?
単純な私は、今の自分に全て合致した
気がして『これだー!』と思いすぐに
その学校へ資料請求をしたのでした

もう頭の中は、カイロプラクターになる
ことばかりで盛り上がっているそんな時
不思議なことに大学時代の友達にたまたま
そのことを話したらなんと、その友人も
数年前からカイロプラクティックに
通っていると!
『それなら、私が通っているカイロの先生を
紹介してあげる』と言ってくれたのです
その先生に早速アポイントメントを取り
会いに行くことになったのです

その先生のお話を聴きその可能性と希望は
膨らむばかり…
カイロプラクティックの道へ行くことを
決意しカイロプラクティックの専門学校に
入学をしたのが27歳の春でした

その後、先生の元で学校に通いながら
修行させてもらうのですが、それはそれは
厳しい先生で毎回毎回、打ちのめされて
落ち込んだのを思い出します
同期で先生のクリニックに出入りしていた
仲間たちは、いつの間にかいなくなり
気づけば私だけになっていたのでした(笑)
なぜか、一番怒られていた私だけが
残ったのです

今、思うと私を一番叱ってくれた理由は
というと『なぜ治療家になりたいのか?』
という根底の部分が浅い私を見抜き、愛を
持って徹底的に叩き込んでくれたのでは
と思っています
まさに、カイロプラクティックの技術を
超えた『心の師匠』とでも言いましょうか…
この先生との数年が私を本気に
変えてくれたのでした!
本当に感謝でしかありません…

長い間ご無沙汰していますので、いつか
お礼に行きたいと思います
今でも思い出すと手に汗が出るほどなので
心の準備を整えてから(笑)…

そして、5年の修業を終え2005年に
開業するのでした

気付けば、この世界に入り20年
開業して15年!

まだまだ、これからこれから…

つづく

第一回、回顧録 完

機会があれば、修業時代の苦しい⁉楽しい⁉
エピソードなども第二回、回顧録で
書いてみたいと思います

今日はここまで…

辛い症状でお悩みの方は
あなたの辛さが分かる
カイロプラクター四方田に
ご相談くださいね

この記事へのコメント